等身大に引き延ばされた街の一角のモノクロの風景が3枚、舞台セットのように前後して直立している。いずれも少し角度がついている。輪郭が太くなぞられている。蛍光灯が下からこのセットを照らし、床には揺れる1本の木の像が道に反転するかたちで投影されている。
今回は、3次元の現実を2次元で記録し、その記録を3次元に組み立て直す、そのプロセスを経る中で明らかになってくる条件を得るべく、その何かに迫ることを試みました。
わたしは何かを見、何かを感じています。それがあることは確信していますが明確ではありません。カメラは遠近法という概念の延長線上に生じた道具ですので、そこに記録された像は限定されたものです。記録はなにかを探るのに有効な1つの方法ですが、常に部分しか記録することはできません。
ここ10年、印象を受けた様は、日々記録しています。なぜこれら特定の像に印象を持つのでしょうか?今回はその中でも「道」を取り上げました。以前撮影した街角の一角。境界線をなぞり、分割し、それぞれ等身大に引き延ばして独立して立つようパネルに貼り、揺れる木の像を加えて全体を組み立て直しました。
後になって考えてみればこの「道」は四つ辻でした。古来東洋では道は呪術的に重要な場所でした。境界であり異なる何かがやってくる場所です。また木の揺れにも目に見えない、何かの訪れを感じ取ったそうです。
古くにはそのように説明されてきたことですが、新しい説明のされ方、活用のし方ができるのかもしれません。現実感の鍵はここにもありそうです。
引き続き追っていきたいと思います。