203号室 / 霊性とリアルと論理

20090903-SDIM1436

四角い部屋の一角が黒く塗りつぶされ、パネルに張られた大小さまざまな無数のモノクロ写真と液晶モニタが突き出している。一部床面にも広がっている。扱われている像は、食具、果物の部分、道路、椅子で、そのうちいくつかは動画である。

ここ10年、印象を受けた様は、日々記録している。なぜこれら特定の像に印象を持つのだろうか?今回、これら記録素材を直接的な構成要素として用いた。対象となる状況を際立たせるため、この段階では周辺情報、色の情報を排除したり、輪郭のみに情報を絞ることで互いの連関を見た。

鉱物がみせるような一見無作為にみえるがある法則のもとに凝集(結晶化)していく様を参考に構成した。これは、ロボット工学の分野で、ある仮説に、とりあえず形を与え動かしてみることでその仮説の是非を問う方法に共通する試みである。

今回登場する像群は、これまでの作品にも度々現れてきている。私がこれまで”現実感”として追ってきたものは、霊性、と言い直せるのかもしれない。古来から風のたなびく様や、境界としての道に、人は印象を持ち、様式化してきた。食具は一番身近で原始的な道/工具であり、台所もまた境界の場として呪術的なものとの関連の深さを指摘される場所だ。

いいつくすこともとらえ尽くすこともできないとしても、印象には残る。そういう情報の把握の仕方があり、発信の方法があるのだろうと思う。

霊的、といってすぐに思い浮かぶのはオカルト的な様々な試みがあるだろう。ここでは、そういう捉え方ではなく、印象ー五感を通じた認知/統合ーとして捉えたい。大変難しいが、オカルトに転ぶことなくこのへんをとらえる方法を開発することは、西洋的な二元論ではたちゆかない場面が頻出している現代を生きる私たちにとって、非常に重要だと考えている。その際、江戸文化や古代中国文化が参考になるだろうと考えている。

引き続き追っていきたい。