この度谷中ホテルでは、303号室を開室してインスタレーションを展示します。これは、組まれた木っ端と、そこに差し込まれた切り抜かれた写真、薄暗く灯った電球によって構成されます。次の材料を空間の中に秩序づけたところこのようなものになりました。
材料
「現実感」についてこれまでに世界で言われたことの一部
ある日私の心をうった情景(写真)
木っ端
スタートポイントは、写真を木材やなにかと同様な1つの材として扱いたいなということ(「物」について、手に取って触れることの出来る今ここに実在するある「物」の換わりに、ある日ある時ある場所に実在したある「物」について、そのときの状態を扱える材として)と、木っ端は重力に沿う形で扱う(たてかけるなど)と面白い様になるな、という2つのことです。
例えば、食卓にまつわる写真を撮ることが多いことに気づいてはいましたが、なぜそれなのかはわからずにいました。今回こうして作業する中で、また本を再読する中で、いつも手に触れて使っている物だな、ということに思い至りました。手に取って刻み、皿に盛り、食べ、洗い、しまう。この繰り返しの中で大きさと重さが体にしみ込んでいったようです。食べ終えて最後無意識にフォークを皿へ下ろすと、そこには食べるという一点に向かってぶれることなくなされた行為の跡が、無理も無駄もなく構成されており、その様に打たれて写真を撮っていたのでした。
以上、どうしてこの2つのことが結びついたのかはわかりかねていましたが、最後にタイトルをつける段になって落ち着きを得ました。どうやらイメージと物質と重力の間にはなんらかの関係があるということだったようです。
現実感/リアリティをめぐる突破口は、このあたりにもあるようです。