壁から差し出された棒に、着物の形をしたものがかかっている。3つある。床にはファンが設置され、巻き起こる風でそれらは揺れている。それらの表面には、木や街並みの実像と、雲や水の流れを模したドローイングがある。
前回支持体として屏風を用いました。それは、表面にあるのは奥行きのないフラットな像ですが、支持体自体が動くことによって空間ができあがることに注目したためです。今回は、支持体としての着物に注目しました。人があちこち端折って身にまとい、さらには動くことで、フラットな像が空間を得ます。
自分の関心の対象が、手で触れられる身の回りの物、植物、空間移動を支える設備、といったあたりにあることがだいたいわかってきました。今回、江戸期の「ひいなかた」と呼ばれている着物の見本帖にあたったところ、この視点がそっくりそのままあてはまることに驚きます。また、富岳三十六景、名所江戸百景など、江戸期の名所、見所を扱った錦絵における”よさ”の感覚にも非常に近しいものを感じます。
当時の技法は事物を2次元化すること、時間を空間に定着させることに長けています。わたしが記録している、わたしに”よい”という感覚をひきおこした現象はさまざまで具体的ですが、その技法を流用することで、任意のそれらをその特徴を維持したままにすんなりとまとめることができることに驚きます。今回、なかから3点を展示することにしました。
いわゆる時計による時間認識、計測による空間構成とは別の、時間と空間の認識の仕方、運用の仕方というものがあってもおかしくありません。「ひいなかた」にはその技術の粋が端的に表われている気がしてなりません。わたしにおける”現実感”の謎に迫ろうとするとき、大きなヒントとなるものだと思います。引き続き追っていきたいと思います。